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世界史に纏わる様々な話 その1

第1回 私が知っている「ダライ=ラマ14世」について《前編》

 先日、ダライ=ラマ14世が来日しました。皆さんもご存じのように、今チベットは北京オリンピックの聖火リレーの妨害で話題になっています。いくら国際社会に疎い日本人でも、マスメディアで様々なチベットに関する情報が頭に入ってくることでしょう。しかし意外と世界史の教科書には、ほんの数行しか掲載されていないために、よくわからないという人も多いことでしょう。今回はチベットとダライ=ラマ14世について、私が知っていることをお話しします。

 そもそも“ダライ=ラマ”とは人名ではなく、チベット仏教(別名「ラマ教」)の最高指導者の称号のことです。ダライはモンゴル語で「大海」、ラマはチベット語で「師匠」「上人」「僧」を意味します。第3世ソーナム=ギャツォ(在位1543〜88年)がモンゴルへ旅したとき、オイラト族のアルタン=ハンがその徳を讃えて、はじめてこの称号で呼んだと伝えられています。第5世ロサン=ギャツォ(在位1617〜82年)が国王も兼ねるようになってからは、チベットの支配者を一般的にこの称号で呼ぶようになったようです。
チベット仏教の特徴は、ラマとよばれる最高位の僧を観音および阿弥陀仏の化身として尊崇する点にあります。ダライ=ラマはその観音の化身とされ絶対の帰依をうけました。第5世以降はチベットの首都ラサにあるポタラ宮に在住し、政治・宗教の両面からチベットを治めました。初代ダライ=ラマのゲンドゥン=ドゥプパ(在位1391〜1474年)は、黄帽派をおこしたツォンカパの弟子です。黄帽派とは旧来の堕落した紅帽派に対し、厳しい戒律を主張して改革を唱えた派閥で、現在はチベット仏教の主流派となっています。以後ダライ=ラマと副法王のパンチェン=ラマは黄帽派から選ばれました。
ダライ=ラマは死後、転生して次のダライ=ラマになると信じられています。現在インドに亡命中のテンジン=ギャツォ(在位1935〜、現在のダライ=ラマ14世のこと)は第14世のダライ=ラマということになります。テンジン=ギャツォは1935年チベット東北部の貧農の家に生まれ、2歳の時に第13世ダライ=ラマの生まれ変わりと認定されました。ただこの認定試験というのが一風変わっています。簡単にいうと、前のダライ=ラマが使用していた持ち物、例えば杖であるとか、衣であるとか、近年では眼鏡なんていうのもありました。これら数十点の持ち物を「これは私のもの。」という風に、ほとんどすべて正解を出した者が「生まれ変わり」と認定されるのです。数学的確率でいうと1000万分の1程度の確率だそうです。私が驚くのは、この認定試験がもう13回も繰り返され、毎回合格者がでているということです。今日はここまで。
次回はそのチベットが第二次世界大戦後に中華人民共和国の一部となった経緯についてお話しします。

文責:明石@世界史
From なんでも部屋

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