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Biological Stories 12


第12回 フェイズ3 音もなく忍び寄る危機(中) 

(特別編 2)

インフルエンザ−毎年1万人以上の日本人が犠牲に

 年によって流行の規模に差があるとはいえ、毎年流行するインフルエンザはやはり恐るべき病気です。近年の感染症でここまでの規模で死者を出す病気はインフルエンザ以外には考えられません。
 ただ、例年冬に発生する流行の場合、人間がある程度の抵抗力を持っているので大流行にまでは至らないのです。
 
 ところで、このような疑問が浮かぶかもしれません。
 人間には一度かかった病気には二度とかからない「免疫(記憶)」があるはずなのに、何故インフルエンザは毎年流行を繰り返せるのか?インフルエンザは免疫の働かない特別な病気なのかと・・・。
 そのなぞを解き明かすカギは、インフルエンザウイルスの持つ「変わり身の早さ」というか「コピーのいい加減さ」にあります。
 
 インフルエンザは二重らせん(DNA)を持たない
 
 前回のブログで生命物質であるタンパク質に特有の特徴である「特異性(選り好み)」についてお話しました。
 免疫反応で主役にあたる「外来物質(=抗原)攻撃物質」を演じる抗体は、タンパク質の一種です。よって当然特異性を持っています。ですので以前接したことがある抗原だけを見分け、これが再度体内に侵入した場合確実に全滅させる能力を持っています。
 特異性をもつゆえに抗原(=敵)以外の物質には攻撃を加えないようになっています。
 
 ところで、インフルエンザウイルスは遺伝子を(あの有名な)DNAではなくRNAに保持しています。これはなぜでしょう。
 生物の持つ遺伝子を保持する物質は、情報量が多い(当然コピーするときには間違いが起こりやすくなる)にもかかわらずミスコピーがほとんど許されない(遺伝情報に間違いがあるとその遺伝子をもとに作られるタンパク質が機能できなくなる)という二律背反する条件を満たす必要があります。
 
 その矛盾を解決するための仕組みこそが、遺伝子やDNAの代名詞ともなっている「二重らせん」なのです。
 
 遺伝情報の載ったDNA鎖とその鎖を物理的に補強すると同時に「鋳型」の役割を果たす相補鎖が2本ひと組になることで、DNAは高分子でありながら遺伝情報のコピーミスが起こりにくいという特別な性質を持ちました。
 
 ところがインフルエンザウイルスは、遺伝情報を変化しやすいものにするという戦略をとりました。
 
 RNAは一般的な細胞においても遺伝情報の担い手のひとつとして働きますが、その役割はDNAとは明らかに異なります。DNAは細胞内では、図書館にたとえれば(外交文書の原本などの)禁帯出の貴重な資料といった扱いをうけています。
 そして、細胞分裂時のみ核(遺伝情報保管室)から出ることを許されますが、それ以外は厳重にしまいこまれています。
 
 それに対してRNAのほうはまるでその貴重資料のコピーのような扱いで、つくりもいいかげんで変化しやすい特徴をもちます。この変質しやすさは、おもにRNAが相補鎖を持たない一本鎖であることに由来します。
 インフルエンザウイルスはあえて、コピーミスが生じやすいRNAを遺伝情報の本体に選ぶ事で、短期間のうちに免疫系が別の物質と認識するほどに変化して攻撃をかいくぐっていると考えられます。

 パンデミック前夜

 トリインフルエンザには赤血球凝集素(HA)の特徴からH5、H7と呼ばれる強い病原性を持ったウイルス(高病原性、強毒性などとも呼ばれる)が存在します。今、アジアを中心に猛烈な勢いで拡大蔓延しているのがこの高病原性トリインフルエンザウイルスのひとつH5N1型なのです。
 
 この高病原性インフルエンザは、分類上は毎冬流行するインフルエンザと同種ですが、影響という点ではまったく別の病気と考えたほうが無難です。
 
 高病原性トリインフルエンザはニワトリに全身感染を起こし、1〜2日以内にほほ100%のニワトリを殺します。
 本来、このトリインフルエンザはヒトに感染しにくいと考えられていました。しかし、このトリインフルエンザの流行したタイやインドネシアの農村で、病気の鳥から高病原性のトリインフルエンザに感染したと考えられるヒトが出ました。しかもトリインフルエンザウイルスの感染によるヒトの致死率は7割にもなりました。このような高い致死率は従来のインフルエンザではとても考えられないことです。
 現在、この高病原性インフルエンザが変異等により人から人へ感染する新型インフルエンザへ変化し、世界的な流行を引き起こす可能性が危惧されています。
 
 1918  スペインかぜ
 
 このような状況を想像できますか?
 
9月12日:風邪のような症状の患者が1例発生する
9月18日:患者数は6000人に達する
9月24日:患者数は12000人に達し、700人の死亡が確認される
6ヵ月後:人口の25%が感染し、人口の2%が死亡する
1年後:ウイルスは世界を席巻し、4千万から5千万が死亡する。
 
 現実味がないとお感じになられましたか?
 ここに引用したのは、山本太郎 著 「新型インフルエンザ」に紹介された1918年にアメリカマサチューセッツ州で実際に起こったインフルエンザ流行の様子です。
 
 これこそ現在「スペインかぜ」の名で知られている人類史上最大の疫病の流行の様子なのです。
 当時の日本の人口は現在の約半数(5700万人ほど)だったのですが、インフルエンザによる伝染病死として届けられた数字だけで25万7363人にのぼっています。
 さらに恐ろしいのは、スペインかぜの死者のほとんどが1918年の9月から12月までのわずか4ヶ月間に集中している点でしょう。
 スペインかぜは全世界に恐るべき速さで広まっていき、短期間のうちに多くの犠牲者を出したことがここからうかがえます。
 さらにスペインかぜが悪名高いのは、社会機能の中核を担うような成人層に多くの犠牲者を出している点です。
 通常のインフルエンザでは抵抗力の弱い人々が大きな被害を受けるということで乳幼児と老人に多くの犠牲者がでるのですが、スペインかぜのときは20代から30代に多くの犠牲者が出ました。
 
 経験的にわかったことですがどうやら新型インフルエンザの出現時には青年から壮年層に多くの犠牲が出るようです。
 1958年のアジアかぜや1968年の香港かぜでも同様の結果がみられていますので今回も同様の経緯で犠牲が出るのではないかと危惧されています。
 

 フェイズ3−新型インフルエンザの出現は秒読み段階にはいった 
 

 本稿のタイトルにもなったフェイズ3とは、WHOが設定した新型インフルエンザに対する基準です。
 WHOでは新型インフルエンザに対して、6つの危機段階を設定しています。この危機段階が第4段階にいたると、世界的に非常事態が宣言されることになります。
 以下に前述の「新型インフルエンザ」から新型インフルエンザの危機段階の基準を引用します。
 

 [パンデミック間歇期]
 <フェイズ1>
 ヒトの間では、新しいタイプのインフルエンザウイルスは見つかっていない。動物の間では存在している可能性はあるが、ヒトへの感染リスクは低い
 
 <フェイズ2>
  ヒトの間では、新しいサブタイプのインフルエンザウイルスは見つかっていないが、動物の間では新しいサブタイプウイルスが見られ、ヒトへの実質的な感染リスクを有している
 
 
 [パンデミック警告期]
 <フェイズ3>
  ヒトの間では、新しいサブタイプのインフルエンザウイルスが見つかるが、ヒトからヒトへの感染はないか、あってもきわめて稀である。
 
 <フェイズ4>
  新しいサブタイプのインフルエンザウイルスによるヒト−ヒト感染が起こり、小さな感染クラスターが形成される。しかし感染は局所的であり、このことはウイルスが完全にヒトに適応していないことを示唆している。
 
 <フェイズ5>
  新しいサブタイプのインフルエンザウイルスによるヒト−ヒト感染が起こり、より大きな感染クラスターを形成するが、感染は依然局所的であり、このことはウイルスヒトに適応しているが、完全にはヒトに適応していないことを示唆している。
 
 
 [パンデミック期]
 <フェイズ6>
  一般集団にも感染が拡大=パンデミック
 

 
 上記の基準に従って現在、WHOは危機段階フェイズ3と認定しています。
 
 パンデミックを未然に防ぐ、あるいは人類への被害を最小限にとどめるためには、このフェイズ3からフェイズ4が最も重要な段階ということになります。
 ひとたびウイルスがヒトへの完全適応を果たしてしまえば、もはや我々を守る種特異性の防壁はなくなり、一気に世界中をインフルエンザウイルスが駆け巡ると考えられます。
 ・・・実際、スペインかぜの流行時には、わずか半年で全世界へ被害が拡大したのですから。
 
 (お詫び)
 予告では今回の内容に加えて「いま我々にできること」そして「日本はどのような対策を採っているのか」についてまでお話をすると予定だと申し上げましたが、紙幅の関係でそこまで述べることができませんでした。
 次回はその内容についてお話したいと思います。
 
 (第12回 終わり。文責:上田@生物)  
   
   
From 住吉校の部屋

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