Biological Stories 13
第13回 フェイズ3 音もなく忍び寄る危機(下)
(特別編 3)
いま我々にできること 〜犠牲者を最小限に留めるために〜
今だからこそ明かしますが、テロメアの連載をいったん停止してまで、突然、原稿を割り込ませたのにはそれなりの理由がありました。
特別編(上)の原稿を提出したちょうど前日、「近隣某国で『鳥インフルエンザ』による感染者が出現、感染が拡大している模様」というニュースがUPされているのをみつけたのです。
ちょうど日本中が大型連休に入る直前の時期で、日本から多くの旅行客が出かける国だったので、正直、かなりの危機感を抱きました。
GW期間中に海外へ出かけた旅行者がウイルスを国内に持ち帰ればただ事ではすまない。なぜ厚生労働省や外務省は海外旅行者に対し厳重な注意を促す発表を行わないのか・・・と、緊張感を持って特別編の原稿を書き始めました。
実際には上のニュースは誤報だったようです。
人から人への感染はなく、単なるニワトリへのトリインフルエンザ大流行だったようです。
しかし、インフルエンザはやはり恐るべき病気です。特別編最終回では、「予想される被害」、「日本はどのような対策を採っているのか」そして「我々にできること」について順にお話していきましょう。
予想される被害
厚生労働省健康局結核感染症課のまとめた「新型インフルエンザ対策報告書」
http://www.mhlw.go.jp/topics/2004/09/tp0903-1.html
と、おそらくその資料をもとに作成された「新型インフルエンザ対策関連情報」
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/index.html
に、以下のように発表されています。
日本政府は人口の約1/4の人が感染し、医療機関を受診する患者数は最大で2500万人と仮定して、対策を講じています。
また、過去に流行したアジアインフルエンザやスペインインフルエンザのデータに基づき推計すると、入院患者は53万人〜200万人、死亡者は17万人〜64万人と推定されています。しかし、これらはあくまでも過去の流行状況に基づいて推計されたものであり、今後発生するかも知れない新型インフルエンザが、どの程度の感染力や病原性を持つかどうかは不明です。
これ以上の被害が生じる可能性を否定できない一方、より少ない被害でとどまる可能性もありますので、実際の発生状況に応じて柔軟な対応がとれるように準備しておく必要があります。
前回簡単にしか説明しませんでしたが、トリインフルエンザは症状により高病原性トリインフルエンザ(HPAI)と、低病原性トリインフルエンザ(LPAI)に分類されます。
たとえ高病原性株といえども感染したのがカモなど野生の水鳥だった場合は発症しませんが、ニワトリなどが感染してしまった場合は多くが死にます(ゆえに高病原性とよばれるのです)。低病原性株も主に野鳥の間で伝染しますが、鳥類に感染した場合の症状は比較的軽いか発症しないとされています。
僕は、政府(厚生労働省健康局)の示した被害者数の推計値に少し危うさを感じています。過去3回のパンデミックを引き起こしたインフルエンザは「低病原性」のものであり、その「低病原性」のウイルスでさえ、パンデミック時には多数の犠牲者を出しているのです。
今回問題になっているH5N1型は「高病原性」のウイルスです。はたして過去と同程度の被害にとどまるのでしょうか?
WHOが発表した「ヒトの高病原性鳥インフルエンザA(H5N1)感染確定症例数」によれば、2003年から2008年4月30日までの期間で確定症例数382人に対して死亡例数が241人という報告がなされています。
我々はこのデータの意味をよく噛みしめる必要があるかもしれません
日本の対策
もしひとたびヒトからヒトへと感染する能力を持った新型インフルエンザウイルスが出現してしまった場合、パンデミックを食い止めることは非常に難しくなります。可能な限り早期に検知してワクチンの開発に着手し、実際に使用できるまでの間は感染拡大を最小限にとどめる以外に方法はありません。
それでは「国立感染症研究所 感染症情報センター」の作成したインフルエンザ・パンデミックに関する Q&A(2006.12 改訂版)をもとに、政府が準備をすすめている対策を見ていきましょう。
(1) 国境における対策により国内への侵入を遅らせる
今回のトリインフルエンザが恐れられている最大の理由は誰ひとりこのウイルスの免疫を持っていないという点です。人間が本来持っている免疫力だけに頼っていてはどれほどの規模の被害になるか想像も出来ません。つまり新型インフルエンザに対する対抗策はワクチンを作ることしかないのです。
しかしその肝心のワクチンは新型インフルエンザのウイルスが発見されてからでないと作成できず、製作には6ヶ月程度の時間は必要であるとされています。
国内の犠牲者を最小限に留めるためには、トリインフルエンザウイルスの発見から6ヶ月間国内で感染者が広がらないようにつとめ、その間にワクチンを作成、国民に接種するということが必要になります。
国内にインフルエンザ感染者を入国させないことがまず重要になるでしょう。
(2) 侵入した場合の早期封じ込め戦略。
(3) 地域流行になりつつある場合の社会的距離戦略により、国内での流行を遅らせ、流行のピークを小さくし、全体の患者数を減少させる。
感染者が入国してしまった場合、即時に感染者を隔離することが必要になります。
また感染者の看護にあたる医療従事者からウイルスが広がらないようにすることも重要です。その医療従事者から感染を広げない上で重要になるのが「プレパンデミックワクチン」です。そしてこれらの対策の結びとして、下のような事柄が述べられています。
(4) パンデミックワクチンの完成・流通により国民を守るということを考えて、サーベイランス、医学的介入としてのワクチンと抗ウイルス薬、非医学的介入としての社会距離対策、医療体制の整備、社会機能の維持、情報共有体制、意志決定指揮命令系統の整備などの多数の分野にわたって、具体的な準備をしておく必要があります
1918年のパンデミック時、オーストラリアで厳密な海港における検疫、すなわち国境を事実上閉鎖することによりスペインフルの国内侵入を約6ヶ月遅らせることに成功、期間は長かったもののより軽度の流行ですんだという実績があります。国がたてた計画はこの歴史的事実を根拠にしているものと考えられます。
いま我々にできること
じつは、現在渡り鳥への感染が多く見つかっているウイルス型をもとにワクチンを作る事が計画されています(プレパンデミックワクチン)。トリの体内で見つかるウイルスはあくまでトリのインフルエンザなのです。ヒトに感染できるようになった時点でトリインフルエンザのウイルスとは相当程度遺伝情報が変わってしまっているかも知れません。
現在毎年流行しているヒトインフルエンザでさえ、毎年小変化しているというのにトリ特異的だったウイルスがヒトへの感染力を得るほどに変化したのであれば、どれほど変化してしまっていることか・・・。
個人的にはプレパンデミックワクチンには大いに期待しています。しかし、もしかすると気休め程度の効果しかないかもしれません。
そしてもうひとつ。抗インフルエンザ薬は、新型インフルエンザにもある程度有効だろうと考えられています。しかしこれも、感染してすぐに使用しなければ効果が乏しい上に薬剤を長期間保存することもできません。
しかし頼るものがこれしかない以上、抗インフルエンザ薬は十分な数の準備が必要だといえます。
今我々にできること・・・。それは、お金に糸目をつけないことだと思っています。
死んでしまえばお金には意味はありません。お金は生きている者に意味があるのです。
海外旅行に行く前、きっと誰もが掛け捨ての生命保険に加入してから出かけたと思います。
実際に飛行機が墜落する確率など自動車事故に合う確率よりはるかに小さいのですから、この掛け捨ての生命保険に使ったお金はほぼ無駄になることが分かりきった出費です。
しかし、もし万が一自分が事故死すれば家族に破滅的な影響が出てしまうのですから、この出費は決して無意味ではありません。
効果が疑われるプレパンデミックワクチンを製造し、1年間で使用できなくなる抗インフルエンザ薬を国民の人数分用意する。しかもそれを毎年繰り返し用意する・・・。
確かにお金の無駄に見えます。使いもしない薬を毎年大量に用意し、期限が切れたら捨てなければならない。しかも流行が起こらぬうちはそれを毎年繰り返す必要がある・・・。非常にもったいない話です。
しかしだからといって、備蓄する抗インフルエンザ薬が1000万人分でいいとか2500万人分でいいとか、僕はそれでいいとは思えません。やはり全国民数に近い数を毎年用意すべきだと思っています。死んでしまえばお金に意味がなくなるからです。
これは無駄な出費ではなく、掛け捨て生命保険にも似た絶対必要な予算である。
みんながそういう認識を共有し、大きく予算を当てるよう働きかけていく・・・。
ヒトからヒトへのインフルエンザ感染が確認された場合、どんなに非情に見えてもその国とのヒトの移動を一切停止する。
これが我々にできる最大の生き残るための努力だと思っています。
この悪夢のようなパンデミックが現実になる日が決してこない事、そして政府が正しく判断し正しい対策を準備してくれることを心から祈って、この特別編を終わりにしたいと思います。
(第13回 終わり。 文責:上田@生物)
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