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2011年02月24日

論述世界史への解法アプローチ

ご存じでしたか?
大阪大学(外国語学部)の前期二次試験の選択科目が
世界史と数学のみになります!

●大阪大学(外国語学部)への現役合格の鍵は早めの前期二次試験対策がポイント!
 来年度から、大阪大学ではセンター試験に「センター倫理・政経」が必修となります。単純に社会が2科目になることになります。またセンターと前期二次試験の配点比率は150:500と、前期二次試験対策も重要になってきます。これを1年という限られた時間で完成するには、早めの対策が必要になってきます。

●大阪大学の「世界史論述」とは?
 過去5年間の過去問の推移をみると、大阪大学の世界史論述は平均して大問3題が基本です。そのうち、250〜300字の論述が2問出題され、これ以外に、50〜150字程度の論述が2〜3問出題されています。これを合計すると1000字前後になります。しかも90分という限られた時間内で解答するとなると、ほとんど見直す時間はないと考えた方がいいでしょう。迅速にしかも的確に解答しなければ高得点に結びつきません。

●従来の学習方法だけでは「世界史論述」の解答は作成できない!
 一般的に世界史の入試問題は「空欄補充」「下線部設問」「正誤問題」などが大半を占めています。いずれも世界史単語の知識量が、正解率に大きく関わってきます。もちろん「論述問題」においても、世界史単語の知識量は重要な要素ですが、単に量だけを増やしても、解答文が簡単に作成できるわけではありません。世界史論述の典型的な『出題パターン(分野別テーマ)』を習得しておく必要があります。

●「論述問題」に共通する3つの解答アプローチ!
  出題パターン(分野別テーマ)を使いこなす!
  出題者の意図を的確にとらえる!
  論述テクニックを駆使する!
 「論述問題の解答」は無限にあるわけではありません。過去の出題を解析すれば一目瞭然ですが、分野ごとに典型的な『出題パターン(分野別テーマ)』が存在します。「論述問題」とは、『ある世界史の分野に関する論理的な文章』を解答させる問題です。これは大阪大学に限ることではなく、東京大学や京都大学など、すべての論述問題に共通することです。
 たとえば、唐の税制に関する出題を例にとると、均田制が崩壊した後の“両税法”に関する論述問題が典型的な『出題パターン(分野別テーマ)』となります。このパターンの解答文を習得していれば、後は『出題者の意図(問題文)』にあわせて、解答を作成するだけです。この時、全体の文章構成に必要となるのが『論述テクニック』です。

●「論述テクニック」とは?
 論述問題の解答作成を速く、しかも出題者の意図を的確に反映した文章にするための、ルールと考えてもかまいません。ここでは、代表的なものをいくつかあげておきます。

1.指定語句は〇代別⊆鑪猜稔B佝翳未吠類する。
 多くの論述問題で、解答に必ず使用するように指示される語句があります。採点基準となるキーワードだけに、ただ解答文に使用すればいいというわけではありませんが、逆にこの指定語句を正しく分類することで、解答作成を的確に進めることにもできます。なによりも、隠れた採点基準(指定されていないが、解答文に必ず使用しなくてはいけないキーワードのこと。)を的確に見つける手助けにもなります。

2.変化の論述は原因と結果(理由と影響)を明らかにする。
 論述問題の中でも、最も多いのが「変化の論述」です。特に京都大学の出題では顕著です。例えば「10世紀のイスラーム世界の政治的、社会的変化について論述しなさい。」や「戦国時代の中国における、鉄器の普及がもたらした社会的、経済的な変化について論述しなさい。」など、上げればキリがないほどです。
 この時、受験生は「変化の内容」については論述するものの、「その理由」や「その変化がもたらした歴史的な影響」の言及にはいたらず、大きな失点をしてしまう場合があります。

3.比較の論述は共通点と相違点を明らかにする。
 「変化の論述」と同じぐらいに出題頻度が多いのが「比較の論述」です。多くは相違点に焦点を絞ったものが多いのですが、意外に「〜を比較しなさい。」という問題文ではむしろ共通点も重要な採点基準となっています。
 しかし共通点と相違点は必ずどちらも記述しなくてはならないというものではありません。時には出題者の意図で共通点のみを記述する場合もあります。

4.抽象的な問いには「政治・経済・文化」に焦点を絞る。
 「〜について、その特徴を答えなさい。」や「〜について、その理由を記述しなさい。」など、漠然とした問題文の場合は、政治分野(政体や制度など)、経済分野(税制など)、文化分野(宗教や思想など)に焦点を絞って考察すると、解答文を作りやすくなります。例えば「絶対王政の特徴」といえば、政治分野は「官僚制と常備軍」、経済分野は「重商主義」、文化分野は「王権神授説」という具合に論点をあげることができます。

●「論述問題」で高得点を目指すなら添削指導が最適!
 実際に自分の解答文と赤本などの解答を照らし合わせてみても、何が良いのか悪いのかを判断して採点することは受験生にはできません。だからこそ、論述問題に取り組む上で、最も重要なのが添削指導ということになります。研伸館では世界史講師4名が、常勤講師として指導にあたっています。論述問題は決して難しい問題ではありません。十分な学習時間と適切な指導を受けることで、確実に高得点をとることができます。一人で悩んでないで、疑問や不安があったら、研伸館の世界史科まで遠慮なく問い合わせて下さい。

2011年02月23日

研伸館のTVCM

皆さんはもう研伸館のTVCMを見ましたか?
力強いBGMに可愛くて目力のある女の子が登場する研伸館の新しいCMです。
もちろん、あの女の子は今年のパンフレットの表紙にも出ている女の子、酒井結加さん(18才)です。

「受験にリベンジはいらない」
この言葉の通り、そしてCMの力強さそのままに現役合格を目指して、私たちと一緒にとことんまで突っ走りましょう。
見つめる先には、必ず笑顔の君が待っているはずです。
研伸館TVCMはコチラ↓↓
http://www.kenshinkan.net/TVCM/

★メインタレント: 酒井結加さん
酒井結加 オフィシャルブログ『Yukaいな毎日』
http://ameblo.jp/sakai-yuka/

★CMソング: ジン 「夢幻の光」 
ジン −プロフィール−

2003年東京・府中にて結成、2006年5月メジャーデビュー。
各テレビ音楽番組でのパフォーマンスが鮮烈なインパクトを与え、一躍話題に。
2007年1月31日に発売したシングル「解読不能」はオリコンウィークリーチャートで初登場10位を
記録。
ギミックのきいたサウンドに魂と言葉を伝えるひぃたんのヴォーカルが相成り完璧なる世界観を
醸し出し、誰も真似出来ない空間を作り出す。ライブこそがジンの真骨頂とも言える。

ジン official website
http://jinnlove.net/

2011年02月21日

中国史実践講義 (第2回)

―黄河文明と伝説上の中国―
【黄河文明は前期と後期にわかれている】
1.仰韶文化
 黄河文明とは中国第二の河である黄河の中・下流域の黄土地帯に発生した新石器時代の農耕・牧畜文化を意味し、古代オリエント文明(古代メソポタミア文明と古代エジプト文明)や古代インダス文明とならんで世界四大文明の一つとしても数えられる。時代区分は大きく二つにわけられ、前期を“仰韶文化”、後期を“竜山文化”と名づけられた。

 仰韶文化は河南省の仰韶村において、スウェーデンの地質学者アンダーソンが北京原人の化石発掘調査中に偶然発見したもので、他にも陝西省の半坡遺跡なども有名である。出土した土器が彩文土器であったことから『彩陶文化』ともいわれ、新石器時代の初め(前5000年頃)の中国最古の農耕文化であるとされた。農耕といっても、粟・黍を栽培し、豚や犬を飼育していた程度で、住居の大半は竪穴式であった。

2.竜山文化
 その後、新石器時代も後半(前2000年頃)にはいると、轆轤(ろくろ)を使用して作った薄手の漆黒色の土器が作られるようになった。最初に発見されたのが山東省の竜山(城子崖遺跡)であったことから竜山文化と名づけられたが、土器の特徴から『黒陶文化』ともいわれている。新石器時代の後半ということもあって農具や農耕技術も進歩し、牛や馬も飼育されていた。また占いに使用していたと推測される獣骨も出土している。住居は相変わらずの竪穴式だったが、集落の原形である“邑(ゆう)”が見られた。

3.治水こそが文明の証
 仰韶文化と竜山文化を比較してみると、出土する土器の分布によって面白いことがわかる。それは仰韶文化が黄河中流域を中心としているのに対し、竜山文化は黄河下流域を範囲としていることである。どうして黄河文明前期の仰韶文化より、後期の竜山文化の方が下流域に分布しているのだろうか?本来なら下流域の方が黄土地帯も広く農耕に適しているので、最初の農耕文化は下流域に発生するのが自然であると考えられる。実際に他の四大文明は下流域を中心に発展している。

その理由は黄河という河が持つ特殊な性格による。黄河は雨季になると普段の水量をはるかに上回り、氾濫の規模によっては流域一帯を百数十キロ平方にわたって、湿地へと変化させてしまった。また海に注ぐ河口も、百数十キロ移動してしまうことがあった。これが毎年のように起こるのでは、住んでいる人はたまったものでない。治水技術が未熟だったこの時代では、到底、下流域に安定した生活を営むことはできなかった。中国の人々は、数千年の時を費やしながら、治水技術の進歩と共に、中流域から下流域へと移り住むようになったと考えられる。

4.土器に足をつけたわけ
 また竜山文化期には “灰陶”と呼ばれる、青灰色で厚手の粗製土器が多く出土する。これは日用品として使われていた土器で三本足のものが多い。中国土器の特徴をあらわす三足土器として、その形状から『鼎(てい)』や『鬲(れき)』と呼ばれている。三足土器は煮炊きするための土器で、黒陶にも同じ三足土器のものが多く出土している。

5.長江(揚子江)文明の存在
 近年、長江流域にも稲作を中心とする新石器から青銅器にわたる文明の存在が確認されるようになった。浙江省で発見された河姆渡(かぼと)遺跡は仰韶文化とほぼ同時期であることもわかっている。

【伝説上の中国】
 黄河文明において形成された集落(邑)がやがて都市国家を形成し、ついで領土国家を形成するにいたるのだが、今日、その存在が考古学上に確認されている中国最古の王朝は“殷王朝”である。しかし中国最古の歴史書である司馬遷の『史記』では、殷王朝以前に“夏王朝”があり、それ以前には“三皇五帝”と称される支配者がいたとされている。
 三皇とは『燧人(すいじん)』『伏羲(ふっき)』『神農(じんのう)』、五帝とは『黄帝』『センギョク』『帝コク』『堯(ぎょう)』『舜(しゅん)』をさす。もっとも三皇はどれも人面竜身や蛇身人首といったもので、まともに人間の姿をしてはいない。おそらく古代の中国人が、農耕の神として崇めていたものと推測される。司馬遷の『史記』は、人間の姿が描かれている黄帝から、中国の歴史が綴られている。
五帝最後の舜が、黄河の治水に功績のあった禹(う)という人物に位を譲り、この禹が夏王朝の創始者となった。(中国では徳のある人物に位を譲ることを“禅譲”という。) 夏王朝は以後の王位を世襲し、十三代、約470年余り続いた。そして夏王朝最後の王である“桀(けつ)”が殷の“湯(とう)”によって位を奪われ滅亡する。(中国では武力によって位を奪うことを“放伐”という。) こうして殷王朝は成立するにいたった。

《ひとこと》
 宮城谷昌光さんという歴史小説家がいらっしゃいます。主に中国の古代史を中心に、史実に則して、様々な人物を描いています。歴史小説と思って侮るなかれ、氏の博識はすべて歴史文献が元になっています。文中にあった司馬遷の『史記』はもちろんのこと、ありとあらゆる中国の文献に精通していらっしゃいます。私も中国史が大好きで、様々な文献に目を通してはきましたが、氏のように精通するにはいたっていません。中国史といえば『三国志』しか知らないあなた!ためしに宮城谷さんの作品を読んで見てください。『晏子』は特にオススメです。
(第2回 終わり)

2011年02月16日

皆さんの報告を待っています

みなさんこんにちは。
現高3生は、国公立の推薦や私立の合格発表で一喜一憂が見られる状況になっ
ています。研伸館の先生達は皆さんの報告を心待ちにしています。
合格の報告だけでなく、もし不合格であったとしても、皆さんの受験が終了するまで
研伸館講師・スタッフも一緒に最後までバックアップしたいと思いますので、まずは結
果をご一報下さい。
また、先生達から確認の電話などもありますので、なかなか言い出せない人も、電
話のあった際には報告・相談をして下さい。
まもなく国公立前期試験が始まります。体調にだけは充分に注意して、試験に臨ん
で下さい。

2011年02月09日

研伸館からのお知らせ(高1・2生のみなさんへ)

新学年コース認定試験の結果が手元に届いているかと思います。
結果がよかった人、今回はうまくいかなかった人、様々だと思いますが、
一喜一憂することなく「次にすること」をしっかり見定めていきましょう!

以下、研伸館の今後のスケジュールです。
2月中には「オープンキャンパス2011」が開催されますので、
この機会を積極的に利用してください。
※新年度(新学年)の授業は3/1(火)からスタートします。


図.JPG

2011年02月06日

中国史実践講義 (第1回)

―中国史を学ぶための基本概念―
【実は中国史っておもしろい!】
新年度をむかえるにあたり、今週からは中国史をわかりやすく解説していきます。受験生の中には、中国史というと、「漢字が嫌い。」「ややこしい。」「長い。」など、意味不明な理由で嫌忌する人が多い反面、『三国志』や『水滸伝』などの世界に魅せられる人もいます。昨今、領土問題などで様々な関わり合いをもつ隣国の歴史について、じっくりと語っていきましょう。

★文章中、中国特有の漢字は、画面上で表示できないものがあります。その場合は[  ]に囲んでカタカナ表記にしました。例:王[モウ]
また講義形式で語るので、あえて“ですます調”にしませんでした。ご了承下さい。

【中国は多民族国家!】
 “中国”と一口に言っても、その歴史は非常に複雑だ。“中華人民共和国”は東アジア最大の領土を誇る国家だが、しかし「中国人の国」というにはあまりにも多くの民族が混在している。そもそも“中国人”という民族自体が存在しない。一般的に中国は漢民族の国家であるとされているが、その全体に占める割合は80%で、他に満州人やモンゴル人など、複数の民族が渾然一体となって形成されているのが今日の“中国”である。したがって川をはさんで言語が異なる村があったり、山を一つ越えただけで風習が違っていたりするのは至極当り前のことなのだ。言ってみれば、ラテン人やゲルマン人など、多くの民族が混在するヨーロッパ大陸を一つの国家とみなさないのと同様に、中国大陸も古代史においては多くの民族国家が存在していた。

【秦の始皇帝は“最初の皇帝”!】
 中国史において、殷周時代を“古代王国期”、秦漢時代を“古代帝国期”と位置づけ、わけて考えると、古代王国期の中国王朝は支配地域がきわめて小さく、現在の西安(旧名:長安)あたりを中心に黄河下流域に広がっているのに対し、古代帝国期の中国王朝は、現在の中華人民共和国の領土に匹敵する支配地域を有していることがみてとれる。
単一民族の支配者であれば“王”という称号で問題ないが、複数の民族の統合する支配者には別の称号が必要となってくる。それが“皇帝”という称号であった。王を“King”とするならば、皇帝は“King of Kings”という意味を持つことになる。秦の政という王は中国を統一した最初の王であった。すなわち“The First Emperor”ということで、『始皇帝』と称された。

【統一と分裂の中国史!】
 中国は黄河文明の成立して以来、3000年という時を経て、ようやく秦の時代に統一された。しかしこの統一はわずか15年で崩壊する。これは統一自体がシステマティックにおこなわれたものではなく、個人のマンパワーによる統一だったからだ。“秦の始皇帝”という、とてつもないマンパワーがあったからこそ成しえた大事業だったともいえる。その後ふたたび、漢の高祖(劉邦)によって統一されたが、この王朝も恒久的なものではなかった。隋唐時代の中国史を“中世期”とするのは、こうした統一事業を恒久的なものにするため、様々なシステム(制度)が試行錯誤されていた時代であったからだ。そしてこのシステムが完成する時代を、“皇帝専制支配期”(ヨーロッパ史における“絶対王政”と同義語)と位置づける。
 中国の歴史を学ぶにあたり、その基本概念とは『絶えず分裂と統一をくり返し、国家建設のために、様々な制度を作り上げてきた。』という事にある。

《ひとこと》
 研伸館では3月と春期講習で、中国史を一気に攻略します。特に中国史の苦手な人は是非このチャンスを逃さないで下さい。この時、予習として『中国王朝・建国者・首都』の3点セットを予め暗記してから望むと、夏前で中国史は得意分野に変わります。
“中国史を制するものは受験を制す!”ですよ!
(第1回 終わり)

2011年02月02日

いよいよオープンキャンパスだ!

現中3生の皆さんは新高1生に、現高1・2生はそれぞれ新高2・3生に進級します。

研伸館では毎年この時期に新年度講座の体験授業を行いそれぞれの学年に必要なエッセンスを伝授します。特に新高3生は受験学年になるので、現役合格に必要な実力ラインを具体的に示します。
それが オープンキャンパス です。

新高1・・・大学受験に向けての重要単元!数学三角関数の先取り導入を授業で体感!
      (初めての三角関数、三角関数発展講義・・など)

新高2・・・理系特集!理科に着手!
      物理・化学の道標を示す!

新高3・・・理国社特集!国公立大受講者は特に注意!
      2011年度センター試験を解いた人は、振るわなかった科目を
      確実に受講しておこう!

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※研伸館は現役合格を目指すからこそ、『3月からのカリキュラム』を用意しています!
  その体験授業であるオープンキャンパスは熱意に満ち溢れています!
  是非参加を!

詳細はコチラ
http://www.kenshinkan.net/event/openCampus2011/
※校内生の申込は研伸館各校舎窓口のみとなりますので、未申込の人はお早めに!!