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2006年12月07日

英語 de エイガ 11 武士の一分

英語 de エイガ 11 武士の一分 2006年松竹
Love and Honor(愛と面目)

巨匠・山田洋次最新作はSMAP木村拓哉を迎えての「隠し剣 鬼の爪」「たそがれ清兵衛」につづく、時代劇3部作の3作目だ。残念ながらこの時代劇の前作2部は見ていないので、何とも言えないがこの「武士の一分」は「山田洋次監督はやっぱりうまい」の一言である。

山田洋次監督と言えばほとんどの方は寅さんシリーズを思い浮かべるだろう。何せ寅さんシリーズは昭和の歴史と共に日本を描いてきた(シリーズものでは最高の48作で)ギネスにも載るほどの日本の文化でもある。この文を書いている本人の名前が寅さんの名字と同じだからきっと全部見ているだろうと思われるかもしれないが生まれた年が寅さん第1作ということからしてリアルタイムで見たわけではない。今まで映画をいろんな所で語っているくせに実は最近まで寅さんシリーズを見たことがなかった私は現在TVで寅さん48作全部を放映中の番組をすべてチェック→録画→DVDで保存、の作業中である。

木村拓哉演じる三村新之丞は、ある藩主の「お毒見役」である。藩主の食べる食事と同じ料理を試食して毒がないかを調べるお役目である。この映画を見て分かったのだが、毒見役というのは一人ではなくて、5〜6人で1品ずつ担当する、というシステムなのだ。いつものように木村拓哉は運ばれてきた料理(アカツブガイ)をもぐもぐ食べると特に変化なしということで、料理が藩主の元に運ばれていく。さあ帰ってよし、というえらいさんの言葉で帰ろうとするが木村拓哉は吐き気で倒れてしまう。「殿〜! 食べてはいけませぬ!」 ぎりぎりの所で藩主は助かる。さて木村拓哉は一命は取り留めるも毒のせいで視力を失ってしまう。「生きる価値がねえ。俺は死ぬ」という言葉に「私も後を追って死にます」という妻・かよの言葉に自害をあきらめる。さてある時、かよは木村拓哉の上司にあたる島田に声をかけられる。「視力を失ったと聞いた。何か相談があればいつでも来なさい」と。このままでは領地召し上げが見えていると、かよは島田の家に温情頂くように頼みにいく。その甲斐あってかお家存続、領地もそのままというおさたが出た。
しかし喜んでいるところに、かよが島田と茶屋で会っているという情報を耳にする。気立てのよいかよがそんな事をするはずがないと思いながらも召使にかよの後をつけさせる。しかし現実はうわさどおりだった。木村拓哉は妻を離縁した。「妻の口添えでお家存続したと喜んでいたとは情けない」と。しかし悲劇はここからだ。実は島田は何もしていなかった。温情を下さったのは藩主自ら決めた事で、島田が上に陳情したのではないというのだ。島田は何もしていなかったどころか、妻・かよを寝取ったあげく、数回に渡って口止めのために、茶屋で相手をしていたというのだ。木村拓哉は、免許皆伝の島田に決闘を申し込む。「妻をもてあそんだ島田を許さない。命をかけて島田を斬る。これは武士の一分なり」と。一分とは「譲れぬ一線」という意味だそうだ。はたして盲目の木村対剣の達人で勝負になるのか。復讐は遂げられるのか。

暗くなりがちなストーリーにちゃんと笑えるシーンを数箇所ちりばめているとことが山田洋次監督のうまさだ。いつもどおり脚本も担当する。しかしこれは日本人に実にうまく訴えかけるテーマである。日本人はかく「復讐」が好きな人種なのだろうか。赤穂浪士の物語しかり。死刑廃止論に反対。そしてデスノートのヒット(無関係?)
出だしに書いたLove and Honorとはこの映画の外国用のタイトルだそうだ。honorは貞節という意味にもなるからこれは映画を見た外国人は「なるほど〜」と思うのかもしれない。観客が若い層から熟年まで幅広いところがこの映画の話題性が想像できる。

結論:山田洋次監督作品は絶対はずれがない。(TK)

2006年12月04日

英語 de エイガ 10 CASINO ROYALE

CASINO ROYALE(邦題『007カジノロワイヤル』)2006年イギリス・チェコ・ドイツ・アメリカ
My name is Bond, James Bond.

まず、「007」は「ダブルオー」と読みましょう。ゼロゼロセブンではありません(笑)。
第21作は新しいボンド、ダニエル・クレイグを迎えて「殺しの番号007」を得るボンド誕生の物語だ。007は初代ショーン・コネリー以来いろんな人が演じてきたが、たった1作で消えていったボンドもいる、役者としてはスターになるチャンスであると同時に、闇に葬られるリスクも背負う、それこそ「カジノ」のような映画である。

最近この手の映画が増えている、というのは「〜の生まれた時(または前)の物語」みたいな映画が多いということだ。ちょっと思い出すだけでも「バットマン・ビギンズ」「スター・ウォーズ エピソード1、2、3」「スーパーマン・リターンズ」。最近、アメリカ映画はこういった回顧ものか、ジャパニーズ映画、コリアン映画の焼き直しが非常に多いのだ。(このブログでも書いた「イル・マーレ」は韓国映画の焼き直し) まあ、それをおいておくとすればこのこの新作は上手に出来ている。アクションは完璧だ。あとはダニエル・クレイグの評価だが、合格点だと思う。ボンド役っていうのは誰がやっても始めは「イメージが違う」と言われるものだ。かのショーン・コネリーもそうだったらしい。しかし逆にいうとボンドと言えばショーン・コネリーと比較されてしまうのも事実。

この映画の脚本はポール・ハギス。前回の「父親たちの星条旗」の脚本家だ。監督はマーティン・キャンベル。条件は揃っている。現在アメリカでは2週連続2位だ。このまま行けば成功なのだが。(TK)

2006年12月03日

英語 de エイガ 9 Bowling for Columbine

Bowling for Columbine(邦題『ボーリング・フォー・コロンバイン』)2002年カナダ

Something is wrong. But time has come to come to understand that semiautomatic 30-bullet weapon like that killed my son is not used to kill deer. That has no useful purpose. It's time to press the problem.
何かがおかしい。しかし、やっと理解する時がきた。私の息子を殺した30連発の自動小銃なんて鹿狩りでも使う代物じゃない。そんなもの使い道はないんだ。(銃規制の)問題を主張する時が来た。
(コロンバイン高校で銃弾に倒れた子供の父親の銃規制集会での言葉)。

劇場公開以来久しぶりにTVで見た。
1999年、アメリカのコロンバイン高校で起こった銃乱射事件、別名トレンチコートマフィア事件を起こした生徒は事件を起こす前にボーリングをしていた。ドラッグ、過激なTVゲーム、そしてハードロック歌手マリリン・マンソンのライブ禁止(見た目や音楽が過激だと言うことで!)など、事件のあらゆる原因をでっち上げる騒動まで巻き起こしたこの事件は、銃規制問題へと進んでいく。

「アポなし取材」で有名なマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画。公開された時は異常な盛り上がりを見せ、カンヌ映画祭で特別賞をとるまで有名になった。

ハロウィンで仮装してトリックオアトリートで家に入ろうとした日本人の留学生が銃で殺されるや、日本でも銃に対する規制が盛り上がった(このとき"Freeze!"(動くな!)という言葉も流行った)のを覚えている人もいるだろう。

人間というもの、武器を手にすれば使いたくなるものだ。何でもかんでもアメリカナイズの日本で、銃をまねしなかった事が唯一の「日本の自主性」だったのかもしれない。映画の冒頭で「口座を開くとその場で銃がもらえる銀行」があるなんて、もうアメリカは馬鹿を通り越して、終わりだと言っても過言ではない。(TK)