数学のススメ〜オイラーの生涯を語る〜
今回は、有名な数学者の一生についてお話しましょう。
オイラー(Leonhard Euler)はスイスのバーゼルの櫛屋の息子として生まれました。
当時のバーゼルは、数学一家として名高いベルヌーイ家がボスとして君臨していました。
オイラーの父パウルもヤコブ・ベルヌーイの数学サークルに入っていたりしましたが、オイラー自身に関連してくるのは、弟のヨハン・ベルヌーイとその息子のダニエル・ベルヌーイです。
オイラーは13歳でバーゼル大学哲学科に入り、15歳で神学科に入学しています。
その後、神学か数学かさんざん迷っていたが、結局、数学を選ぶことになります。
その後、20歳のときに職を求めてロシアのペテルブルグに移り、そこでオイラー関数やオイラー積分などの仕事を仕上げています。
この頃結婚をしているのですが、星の運行計算のし過ぎで、右目を失明してしまいます。
33歳でベルリンに移り、再びペテルブルグに戻る59歳までそこで過ごしていますが、そこではオイラーの公式やオイラー指標などを産み出しています。
晩年になると火事にあったり、手術の失敗で両目の視力を失ったり、奥さんと死に別れたり散々な状態でしたが、やはり数学をやり続けて、67歳のときにオイラー方程式を含む変分法の著書「極大極小曲線」を書き上げているのです。
まさにオイラーは数学界のバッハといえるのではないでしょうか。
モーツァルトやベートーベンなどの大河の源流をたどるとバッハに行き着くように、リーマンやガウスなどの大数学者の源流はオイラーにあるといって過言ではないでしょう。
数学者の1つの夢は、自分の名前のついた公式を歴史に残すことですが、オイラーの名前を冠する公式は数え切れないほどあります。
数学者のもう1つの夢は、自分が始祖となる研究分野を構築することですが、オイラーの示した定理は、すべてその後壮大な展開を見せる理論の種となっています。
彼は、後年には盲目となりながらも、多くの公式を生産し続けました。
呼吸するのと同じくらい自然に計算をし続けたといわれています。
65歳で40年も連れ添った妻と死別した後、70歳で再婚し、晩年の家族は30人以上もいたそうです。
当時新しく発見された天王星の軌道計算について友人たちと話しながら夕食を食べた後、孫と遊んでいるときに発作にみまわれ76歳で急死しました。
こんなオイラーが発見した公式の1つがオイラーの多面体定理です。
※先日、中1の数学の授業で扱いましたよ!
しっかりと歴史を噛みしめて覚えてしまいましょう。(MH)
高等数学は深く覆い隠されていた真理をわれわれの前に照らし出し、それを世の中へと送り出す。――――――(オイラー)